バディ・ホリー - 22歳で夭折したロックンロールのフロンティア

 
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 このブログ記事を見て、現代音楽シーンのことを批判することは、メディアの意見をまるのみしていただけだということに気づく人は多いはずだ。
 アニメソングや初音ミクオリコンチャートで上位にマークしたことでいろいろ騒ぐ人たちを横目に、全国のライブハウスでは、今日もまた、人々を熱狂させる名演が繰り広げられているのだ。
 
 ただ、それを知らないだけだ。僕が、マイケル・ジャクソンの生前に、その偉大さを知らなかったのと同じように、素晴らしいものというのは、この世界にはたくさんある。それを探す努力もせずに、不平をもらしたところで、ただ疲弊するだけである。
 
 上記記事の、若いミュージシャンのほうが、機材に対する知識や技術は優れている、という指摘には納得した。クオリティの高さ、という意味では、今の音楽のほうが優れているだろう。
 
 
 さて、僕の音楽鑑賞といえば、すっかり懐古趣味になっている。自分が生まれていない60年代や70年代の音楽を愛聴している。
 それは、小説や解説書を読んだりしているうちに「ビートルズぐらいは知っておかないと」と思い立ったからだ。そのうち、今の音楽に戻る予定だったが、60年代のロックシーンの背景を知ることは、映画を見るのと同じように、僕を楽しませて、満足させてしまうのだ。
 
 何しろ、昔の音楽は時代の風化から生き残っているものばかりだ。今の音楽シーンで5年後も10年後も生き残っているミュージシャンなんて一割にも満たないだろう。
 昔の音楽を追いかけたほうが、本物の音楽を知る可能性が高い。リスクが少ないのだ。
 
 そして、今の音楽シーンを追いかけるならば、経済的だけでなく、コンサートを見に行くという時間的・精神的負担もある。
 「デビューしたての彼らは、もっと荒っぽかったんだけどね」と、したり顔で話したり、その音楽的成長を自分の言葉で追いかけたりするよりも、懐古趣味のほうがラクなのだ。
 
 つまり、僕の懐古趣味は、決して、今の音楽を否定するためではない。
 ただし、今の音楽を追いかけている人も、そのルーツを知ることは決して無駄なことではないと思う。
 
 そんな僕が最近気に入っているのが、バディ・ホリー
 わずか22歳の若さで亡くなった50年代のロック・ミュージシャンだが、彼が与えた影響ははかりしれない。
 
 

 
 この上の動画は、バディ・ホリーの伝記映画である。つまり、歌っているのは本人ではない。
 ただ、バディの短く終わったキャリアの中で、このシーンが最大のハイライトなので、あえて、映画のほうを紹介する。
 
 
 これは、ニューヨークのハーレムで行われた黒人の聖地「アポロ・シアター」で行われたコンサートを映像化したものである。
 かつて「アポロ・シアター」では、白人の出演は許されなかった。
 
 50年代といえば、公民権運動が行われる前であり、白人と黒人の人種の壁は、今よりもずっと強固なものだった。
 そして、黒人は、白人のロックスターを好意的に見ていなかった。
 
 なぜなら、黒人にとって「ロックンロール」は自分の作り出した音楽という自負があるからだ。
 それを、エルヴィス・プレスリーなどのレコード会社のプッシュを受けた若者によって「ロックンロールは白人の売りものにされた」のだ。
 白人スターは「我々の音楽を奪った」と、黒人には思われていたのだ。
 
 そんな「アポロ・シアター」に、なぜ、バディ・ホリーが出演したのかといえば、プロモーターがバディの音楽を聴いて「こいつは黒人に違いない!」と勘違いしたせいである。
 しかし、当日に現れたのは、メガネをかけた白人青年。
 アポロ・シアター関係者の狼狽した姿が目に浮かぶようだ。
 

 こうして、バディ・ホリーアポロ・シアターに出演したとき、観客の間にどよめきが走ったという。
 
 上の動画では、やや、気負い気味にバディ・ホリーが歌っているのは、そのような状況でのコンサートだったからだ。
 しかし、メガネをかけた白人青年が黒人顔負けのシャウトをするパフォーマンスを、黒人観客は「面白い」と感じたのだろう。
 商業音楽ではなく、「本物の音楽を知っている」と自負する黒人たちに、バディは認められたのだ。
(そういう設定にしては、ちょっと、黒人観客のノリが良すぎると思うのだが、それは映画だから仕方ないのだろう)
 
 このシーンは、ロックンロールの歴史の中で、トップを争うほどの重要なイベントであったと思う。
 
 
 そんなバディの演奏は、今の音楽に比べれば、陳腐に思われるかもしれない。
 しかし、バディ・ホリーは、その後のロックンロールに、特にビートルズに多大な影響を与えた。
 もっともわかりやすいのが、その歌い方である。
 
 

 
 バディ唱法がもっとも堪能できるのが、この「Rave On」
 一度、真似して歌ってもらいたい。
 彼がなぜ、黒人歌手に間違えられたのか、その理由がわかるはずだ。
 
 裏声を効果的に生かしたバディのパワフルな歌声は、いつ聴いても心を揺さぶられる。
 そして、この歌い方こそがロックンロールだと思うのだ。
 
 ビートルズジョン・レノンポール・マッカートニーも、この「Rave On」をカバーしている。Youtubeでそれを聴くことができる。
 しかし、残念ながら両者とも、バディほどうまく「Rave On」を歌えていない。
 
 そして、彼らは気付いたのだ。バディ・ホリーのマネをしたところで、彼に勝てるはずはないと。
 ビートルズが公式に残したバディ・ホリーのカバーは、わずか一曲だけだが、それは、バディからの影響が少なかったことを意味しない。
 バンド編成からバンド名から、初期ビートルズにはバディの影響が根強く見られる。
 それでも、安易にバディの曲をカバーしなかったのは、それだけ、彼のことを尊敬し、また「勝てない」と思っていたからだろう。
 
 
 50年代のエルヴィス・プレスリーから、60年代のビートルズの進化には、かなり飛躍がある。
 しかし、その功績はビートルズの才能だけで片付けるわけにはいかない。
 若死したバディやエディ・コクランなど、プレスリーからビートルズをつなぐ架け橋があったからだ。
 
 そして、ビートルズ自身、そんな偉大な先人たちのことを忘れることはなかった。
 今、バディ・ホリーの版権を持っているのが、ポール・マッカートニーであることから、その事実がわかるだろう。
 
 

 
 メガネをかけた、どこにでもいる白人青年のような外見のバディ・ホリーは、デビューしてから各地のコンサート巡業を過密なスケジュールで続けていた。
 そして、コンサートに向かう飛行機の事故で、あまりにも若い生命を奪われることになった。
 
 もし、バディが60年代も生きていたら、と想像するファンは多い。
 彼はコンサートでの限界に気づいていた。録音機材の発達を彼はビートルズのように喜び、より質の高いレコードを作ろうと決意したかもしれない。
 そして、ジョン・レノンバディ・ホリーがどんな会話をするか。想像するだけで楽しめる。
 
 
 僕はそんなことを考えながら、バディ・ホリーを聴いている。
 
 
【関連ページ】
 
バディ・ホリー - Wikipedia