少女と桜と独身貴族


 電車の中。小学生低学年と思われる少女が、靴を脱いで、座席に膝をたてて、窓に手をかけて、外の景色と向き合っていた。
 隣にはだらしなく寝ている少女の兄らしき中学生男子がいる。妹は兄の身体をたたき、何度も起こそうとする。
 きっと、いろいろたずねたいのだろう。「あれはなに?」「あそこはどこ?」。それがうっとうしくて、兄はわざと眠ったふりをしているのだろう。
 普通列車から見える風景。僕にとっては、ありふれた景色でも、少女にとっては、すべてが新しく、胸をわくわくさせるのだ。こちらからは見えない少女の幼い瞳は、あらゆるものを目に焼きつけようと、大きく見開かれているのに違いない。
 明治時代、特急列車が登場したとき、ある人がこう言ったらしい。「なんで、早く着くのに料金が高いんだ?」。明治時代の人々からすれば、列車に乗ることはレジャーでもあったのだ。目的地に早く着くなんて、せっかくの遊覧時間が短縮されてしまうではないか。それで、お金を多く払うとはなにごとだ? 乗客に背を向ける少女を見ながら、そんなエピソードを思いだす。
 窓の景色をすべてわがものにしようとする少女と、特に目的もなく電車に揺られている僕とでは、流れている時間の速度がちがうのだろう。僕もたまには、少女と同じ感覚を取り戻したいと思う。




 今日も、桜を見に行く。東京の風には匂いがない。桜ぐらい鮮明でなければ、季節の変わり目を知ることすらできない。四季の彩りが乏しい東京の人たちは「子どもをこんなところで育てたくない」という。子どもが「自然」に鈍感になることをおそれているのだろう。しかし、都会の便利さ、仕事の関係上、田舎の人間関係への恐怖、その他もろもろで、ほとんどの人が東京ないしはその近郊で家族を築くことになる。
 そんなことを考えながら、公園に行く。日曜日ということで、家族連れでにぎわっている。少年たちはボール遊びをしていたが、蹴りすぎたのか、僕の方向にそれが転がってくる。少年の一人が、ボールを取りにきて、バッタリ僕と目が合う。そこで僕は肩をすくめてみせる。
 「肩をすくめる」。文章ではよく使う表現だが、実際に使うことはほとんどない。「I don't know」という欧米人のジェスチャーだからである。僕はよく「勝手にしろよ」という意味で、この仕草をすることが多い。
 ところが、少年にはその意図が通じなかったのだろう、きびすを返し、戻っていくではないか。やがて、少年たちの遊びはボールを抜きにして何事もなかったかのように再開される。その光景に僕は焦る。たしかに僕はわけのわからないリアクションをしたけれど、そんなことでボールをあきらめていいのか。このまま、ボールの存在を忘れて帰るつもりじゃないだろうな。物を大事にする心があれば、二十代男性の肩をすくめる仕草ぐらいで、ボールを取りに行くのをやめないはずだ。嗚呼、これが飽食の時代の子どもたちの姿なのか。
 その場を離れたあと、しばらくして、遠目で見ると、そのボールはなくなっていた。つまり、僕は自分の想像以上に「不審者」と見られていたということだ。「兄さん」から「おっさん」への階段を僕は着実に上りつつある。
 青いビニールシートには、老若男女、いろんなグループがそれぞれいる。二十代の母親グループや、親戚が集まったグループ。大人たちが飲み食い会話に夢中になっている横で、女の子たちがニンテンドーDSを互いに話しながらプレイしていた。花見なんて小学生には面白くも何ともない行事なのだろう。
 遊具にも多くの子どもたちがいる。逆上がりをしようと挑戦する小学生中学年ぐらいの女の子もいる。彼女は膝丈のスカートをはいている。つまり、逆上がりに成功すると、パンツが見えるということだ。幼くしてそんなチラリズムを実践する彼女に、僕は心の中で「がんばれ」と声援を送り、数秒間立ち止まってしまったが、まわりの視線が気になって、すぐに歩きだす。なるほど、確かに僕は不審者である。
 すると、十人ぐらいの男性ばかりのグループに遭遇する。二十代から三十代、おそらく仕事仲間のようであるが、男だらけの宴会というのは、はたから見ると、なんとも哀れである。どのような不毛な会話が交わされていることやら、と聞き耳をたてようとしたら、いきなり「おい!」と話しかけられた。僕は焦った。実は僕の後ろにいた男性に声をかけたものだったが、僕は本当に彼が自分を誘ったのだと思ってしまったのだ。
「なにやってんだ ここがおまえの居場所じゃないか?」
 いや、そうじゃない。僕は動揺を隠しきれないまま、にぎわう公園をあとにする。




 帰り道、雨が振りだしてきた。この雨が長引けば、次の週末には桜も散っているだろう。春の到来を告げた桜たちに、僕は別れを告げながら考える。来年こそは、女連れで花見を来よう、と。現時点では、その女性の顔がまったく思い浮かばないという悲惨な状況なのだけれど。