野口英世から萱野茂 -最近、関心を持っている日本人

 1000円札の肖像となっている野口英世を冠した「野口英世アフリカ賞」とは、アフリカの医学、医療分野で優れた功績を残した人を表彰する日本政府による文化事業の一つである。賞金額は一億円。
 このニュースを聞いて、気になったことは、果たして受賞者が「野口英世」のことを知っているかどうかである。
 野口英世ほど、その知名度に関わらず、生前の功績が否定された学者も少ないだろう。
 三度、ノーベル医学賞の候補になった彼だが、その業績であるとされた小児麻痺、狂犬病、黄熱病は、いずれもウィルスを病原体としたものであることが後に発見された。
 野口英世はウィルスの存在を知らなかった。当時の顕微鏡では、細菌の千分の一以下の大きさしかないウィルスを見ることはできなかった。彼は光学顕微鏡に映る細菌のふるまいを、実験マシーンなどと揶揄されながらも、不眠不休で調べ続けていた。その発表の多くは、ウィルスの発見によりほとんどが否定されている。
 ゆえに、野口英世の国際的評価は驚くほど低い。
 いっぽう、彼は生活破綻者としても知られる。結婚の約束を何度も反故にし、酒におぼれていたことで有名だ。どうも彼には交際能力がなかったのではないかと思われる。
 貧しい農家に生まれ、火傷で左手が不自由だったのに関わらず、勉学に励む。わずか二十歳で医師免許を取得。しかし、学閥による日本の医学界での人間関係に苦しみ、わずかなつてを頼りに渡米。その後の活躍により、日本では英雄視されたが、ほとんど母国の土を踏むことなく、ロックフェラー医学研究所で、人間ばなれした研究をし続け、最後はアフリカの黄熱病研究の最中に病死。「私には分からない」というのが最期の言葉である。黄熱病の病原体は彼の顕微鏡では見えることのないウィルスであった。
 女一人すら幸せにできなかった男が、世界の人々を苦しめる病気の究明に生活のほとんど捧げた。なぜ、日本人は野口英世は愛するのだろう。豊臣秀吉のようなサクセスストーリーを彼に重ねているのだろうか。左手の自由がきかずいじめられた学校時代から、医学界でもアメリカでも、彼はアウトサイダーであった。人間らしさを捨て、同僚にはあきれられ、それでも彼は何かにとりつかれたかのように研究をし続けた。
 彼の業績は、他の日本人ノーベル賞受賞者に比べると、決して重視されるべきものではない。だが、野口英世が日本人に与えた影響は計り知れない。


 いっぽうで、死後に業績された評価された日本人は多い。たとえば、今ではほとんどの自動車などについているエアバッグ。その発明者は日本人である。
 1963年、小堀保三郎が、飛行機事故の生存率を高めるために発明したのが、エアバッグである。しかし、その奇抜な発想は日本人関係者には受け入れられなかった。火薬の使用は当時の消防法に抵触するため、実用化は困難であった。結果、1975年8月30日、小堀保三郎は生活苦から夫婦でガス心中を遂げている。
 現在、日米欧の自動車では標準装備となっているエアバッグ。その世界的普及を、発明者小堀保三郎は見ることがなかった。


 もちろん、生前でも世界的信用を得ている日本人も多い。たとえば、砲丸作りの職人である辻谷政久氏。アテネまでの三大会連続で五輪男子砲丸投げの表彰台を独占している。
 日本人は「職人」に対する敬愛の念は強い。「ニコニコ動画」でも、よく「職人」「神業」というコメントがよく使われている。
 この辻谷氏、北京五輪では「スポーツの世界に政治を持ち込むのが気に入らなくて」と、砲丸を供給することをやめるそうだ。手作りの職人だからこそ言える力強い発言である。


 北京五輪へのボイコット関連のニュースが毎日のように報じられる。特に、チベット弾圧運動に関しては、ネット世論を大いににぎわせている。
 いっぽう、北海道などの先住民であったアイヌ民族のデモ運動については、ネット世論では冷淡な反応しか戻っていない。
 アイヌ民族運動を語るうえでは、萱野茂という人を欠かすことはできない。アイヌ初の国会議員となり、アイヌ語による国会答弁を行った。1997年には「アイヌ文化振興法」が成立。それまでの法律は「北海道旧土人保護法」といい、米英の先住民対策を模倣したものだった。ネイティブ・アメリカン(俗にインディアン)と同じく、アイヌも独自の文化を破壊され、東北以南に住む人にとって「アイヌ差別」の存在すら知らないケースが多い。
 チベット弾圧は明らかに許せない行為であるが、自分の正義感を満たすためだけに「フリー・チベット」を叫ぶことは、チベットの人たちのためにはなるが、自分のためにはならない。日本人たる者、萱野茂という人の名前、そして、アイヌの聖地を沈めた二風谷ダムのことや、アイヌ松前藩との戦いの歴史(シャクシャインの戦いなど)も知っておかなければなるまい。こうして、初めて、高らかに「フリー・チベット」と叫ぶことができると思う。
 今回のチベット弾圧について、少なからずの人が真摯にネットに自分の意見を述べている。例えば「先住民族の権利に関する宣言」に反対する四カ国をめぐり、ウェーバーの「プロ倫」をとりあげた考察をブログで公開している人もいる。
 これらは非常に良い兆候であると思う。チベット弾圧を通じて、ただ中国を悪とするだけではなく、ひとりでも多くの人が「世界」を知るべきである。


 以上、最近、僕が関心を持っている日本人についての記事をまとめた。