小説でいかに「美人」を描くべきか


 「美人」をいかに描くべきか、というのは、小説を書く者を悩ませることだろう。
 このブログでは「涼宮ハルヒコの憂鬱」という二次創作ノベルを連載している。二次創作といっても、シェイクスピアが「ロミオとジュリエット」を書いたように好き勝手にやっている(つまり、文学用語でいうところの「翻案」である)。そのため、原作ファンにはあきれられ、原作を読んでいない人には見向きもされず、アクセス数は減少の一途をたどっているという、トホホな連載小説である。
 さて、この「涼宮ハルヒコの憂鬱」で、古泉イツキという子が出てくる。僕は彼女を美人として描いた。どれぐらい美人なのかというと、主人公キョン子が反発して、SOS団をやめちゃうぐらい美人である。

 「美人」であることの形容文句はいろいろある。目や鼻、唇、そして髪。いろいろと美辞を並べることはできるが、正直いって、そこまで描いても一枚のイラストにはかなわない。そのため「美人」を描くことは、まわりへの「影響力」を描かなければならないと思う。
 女性にとって「美」は強さである。女性は美人を羨みながらも嫉妬する。いくら教養があろうとも美人でなければ、その女性は嫉妬対象とはならない。
 男性にとって「美」はステータスである。誰もが美人と付き合いたいものである。これは体験談だが、美人のためならば、同棲している彼女なんて、男は平気で投げ出す。結婚していないと平気で嘘をつく。恋愛よりも友情が大事、というのは、所詮は女性の戯言であり、美人の前には、いかなる男性の友情も無力である。そして、基本的に、美人との恋愛のために裏切った友情は、後に不問になることが多い。男なら美人に走るのは仕方ないのである。
 美人とデートするときに、待ちぼうけをさせる男はいない。できれば、車があったほうがいい。もちろん、店も選ばなければならない。マクドナルドみたいな店に、美人の子を連れていくのは、周囲に迷惑である。「なんで、こんな奴がこんな子と付き合っているのか?」と人々は疑惑にかられ、絶望のうめき声すらあげてしまうだろう。
 美人と付き合う男は、女性の心をつかむのはもちろんのこと、被害妄想とも日々戦わなければならない。美人の前にはあらゆる知人は敵と化す。そのため、男は序列でおさえつける。部長の愛人を平社員が手を出したら、その会社から追放されるなどといったやり方で。
 そんなリスクがありながらも、美人と付き合うことは快感である。どこかしら、フェラーリランボルギーニに乗っているのに似ている。フェラーリに乗ると、まわりの車がどんどんゆずってくれて、まさに「My Road」という気分にさせてくれるものである。もちろん、僕はオマケとして乗った経験があるだけだが「こりゃ、フェラーリも悪くない」と感心したものだ。
 僕なんか美人の子と会うと、ついついこう思う「いったい、彼女のために何人の男が死ぬことやら」。僕の経験上、男の価値と、連れそう女性のルックスには、それほど相関関係はないと思う。
 だが、その人がお金を持っているかどうかはわからないが、美人であるかどうかは一目でわかる。ゆえに「美はお金より強い」のである。美人ほどわかりやすいものはない。
 よく「地方の子より、東京の子のほうがかわいい」という話を聞く。おそらく、東京の子のほうが、大人と接する機会が多くなるからではないか。そうして、彼女らは、魅惑させる方法を身につけていく。「かわいい子には旅をさせよ」とは実にいい言葉で、社会に出ることで、初めて、自分の美に相応の「強さ」を身につけることができるのだ。どんなに臆病な性格の子でも、美人であるかぎりは、そうみなされることは永遠にない。


 それに比べると「萌え」というのは四畳半的なところがある。僕が今連載している「涼宮ハルヒコの憂鬱」では、主人公キョン子が「萌え」担当である。男子からは女子あつかいされず、美人の古泉イツキに嫉妬する女の子。それでも、彼女なりの「強さ」というのがあって、まわりには一目置かれていたりする。もちろん、小説で「萌え」というのは使えないので「愛らしさ」とか「かわいさ」などと表現する。ありふれた女性らしさであろう。
 もちろん、萌えというのは、男性の願望にすぎず、女性の「自分らしさ」とはちょっと違う。例えば、ネイルアートが「萌え要素」になることは永遠にないだろう。僕に女性心がわからないのと同様に、女性が萌え要素の真髄を知ることは難しいだろうと思う。まあ、今では何でもかんでも「萌え」の一言でごまかすことが多いけれど。


 ということで、今、連載している「涼宮ハルヒコの憂鬱」は、古泉イツキちゃんに「美人」、キョン子ちゃんに「萌え」を担当してもらっている。そういうところも楽しんでいただければうれしいと思う。


*なかなか面白い記事だったので紹介

 女性のいう「自分らしさ」っていうのは、実は男性にはきわめてわかりにくい概念なので、僕はよく「強さ」という言葉を使っています。強い女性のふるまいには、「自分らしく生きる」という信念があるわけですが、その後押しとなるのが「美」なんですよね。美はテンプテーション(魅惑)のためだけにあるのではない。「美人」を語るうえで忘れてはならないことです。