国家の品格―残業を抱える正社員に「祖国愛」は響くのか(評価:C)

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

祖国愛に燃える数学教授による講演をもとにした本書は、「品格」ブームの先駆けとなった。書店に行くと「女の品格」「男の品格」「親の品格」「会社の品格」などなど。
著者は高らかに言う。日本には他国にない「武士道精神」がある。惻隠の情を持ち、弱き者を助け、卑怯を憎め。それは近代的合理精神が限界をむかえた今、もっとも大事なことであると。
しかし、我々はこの威勢のいい著者の言葉を「そうだ、そうだ!」と後押しできるのだろうか。
我々が働いている職場には、正社員とバイト(派遣社員)がいる。給料の差額はおよそ三倍。どこの正社員も仕事を抱えて、残業を続けている。三倍の給料をもらって、バイトなみの仕事しかできないと言われるのが怖いからだ。上司と「○○は使える/使えない」なんて話をしながら、正社員はふと思う。「みんなで幸せになる方法ってあるんだろうか?」
夜遅くに帰宅すると、TVで誰かが言っている。人権がうんぬんとか何とか。いやいや、「自由」「平等」それらは建前で、我々ができることは「公正」でしかないんだ。基本的人権という言葉は、日本語においては偽善である。そんなことを考えながら、ベッドにつく。「正しく生きるためには、いったいどうすればいいんだろうか?」
本書の著者が好む新渡戸稲造の「武士道」は、僕に西郷隆盛を想起させる。外国人には、なぜ、西郷隆盛銅像が上野公園に建てられているか、理解できないという。「なぜ、日本最大の反乱軍の首領の銅像を首都である東京に建てるのか。ワシントンにリー司令官(南北戦争の南軍司令官)の銅像を建てるのと同じではないか?」。この理由を外国人に話すことは難しい。
西郷隆盛が生まれ育った70軒あまりの下加治屋町(現・鹿児島市加治屋町)は、明治時代に多くの要人を出したことで知られる。特に、日露戦争では、陸軍も海軍も総司令官は下加治屋町出身者であった(大山巌東郷平八郎
なぜ、一つの町が多くの要人を輩出したかについての理由として、西郷隆盛による「郷中教育」があげられる。薩摩藩には33の郷中があり、区域単位での教育制度がしかれていた。教育といっても、大人の先生がいるわけではなく、年長者が年少者に教えるのである。西郷はその二才頭(にせがしら)となり、長幼の序を重んじ、弱者をいたわり、議論より行動を美とする教育を施した。その薫陶を受けた者たちが、明治政府で要職を占めた。
おそらく、日本人の理想像とは、西郷隆盛にあると思う。しかし、それは外国人どころか日本人にも伝えることが難しいものだ。果たして、今の時代に、西郷の美学はどこまで通用するのだろう。
60代教授の威勢のいい憂国の嘆きを読みながら、僕はずっと西郷のことを考えていた。