すべらない敬語―バカな人間と思われないために (評価:B)

すべらない敬語 (新潮新書)

すべらない敬語 (新潮新書)

本書の著者が電車に乗っていたとき、若い女性が不良らしき男にしつこく絡まれていた。
「やめてよ。あっち行って!」
気丈にもバッグを振り回し抵抗を示している女性の姿に、思わず著者は間に割って入った。
「嫌がってるじゃないか。やめなさいよ」
すると、事態は意外な展開を見せる。
「何よ、あんた。えらそうに。そこどけっつーの」
どうやら、この男女、痴話喧嘩でじゃれあっているだけだったらしい。
公共の場でそんな行為をする是非はさておき、著者は次の教訓を得た。

  1. 女性が「やめてよぉ」という場合は「民事不介入」的で見守るほうがいい。
  2. 「やめてください」の場合は「刑事事件」の可能性大だから、介入なり救援の必要がある可能性が高い。

このように敬語とタメ口は、外に向けられているか、内に向けられているかの違いがある。
さて、2007年2月に国の文化審議会が出した「敬語の指針」では、敬語は「尊敬語」「謙譲語I」「謙譲語II(丁重語)」「丁寧語」「美化語」の五種類にわけられた。「今どきの若者は敬語がなっとらん」と豪語する人のうち「謙譲語II」や「美化語」の意味を知っている人は少ないだろう。実は、書き言葉の敬語は未だに定まっていないのが現状である。
本書の著者は元アナウンサー。TVでご存じの方も多いだろう。正しい敬語がコロコロ変わる現代で、相手の気持ちを害さない敬語の使い方とはどういうものか? 「しゃべり」を本業としている著者だけに、非常にわかりやすい敬語論で、他の「敬語マニュアル」を読むよりおすすめである。
敬語表現というのは、別に日本語だけのものではない。たとえば、英語にも敬語表現というものがある。
英語の場合、疑問文で最初の5W1Hを避けるのが、上品な話し方である。具体例をあげると、2のように話しかけるのが敬語表現。

  1. What is your name? (あんた名前なんていうの?)
  2. May I have your name? (お名前をうかがってよろしいでしょうか?)

この英語の敬語を見習って「お名前ちょうだいできますか?」という日本語がまかり通っているが、もちろん、これは間違った日本語である。
英語の敬語は「自分がきちんとした人間である」ための自己表現としてとらえられている。日本でも、敬語が使えない人を「教養がない人間」と決めつけてしまうことが多い。もちろん、過剰な敬語を使う人も「卑屈な人間」と決めつける人が多いだろう。結局、敬語とは「場を作る雰囲気」のための手段にすぎないのだ。
では、相手を不快にさせない敬語とはどういうものか? 敬語は「相手を立てる」ために使われる。ところが、日本語は主語が不明確であるために、用法を間違えると「俺の方が偉い」という印象を与えてしまうのである。
個人的に、敬語は方言と似ていると思う。僕は未だに関西なまりが抜けないが、それでもそこそこ信用されている。関西人だから、敬語が下手だから、というのは、その人の評価を決定づける要因ではない。女性がタメ口で許されるときでも、男は敬語を使わなければならないときがある。
結局のところ、敬語の乱れ云々というのは「若者の不信感」に起因すると思う。上司にタメ口の新入社員も、強盗におそわれたら「助けてください!」と敬語を使う。年功序列制などがなくなり、年金制度の崩壊を耳にして、何を信じていいのかわからない若者からすれば「カネや出世のために敬語を使う奴は汚い」と考えているのだろう。
ところが、仕事というのは、自社だけでまかなえるものではなく、必ず他社と交渉しなければならない。そんなときに使い慣れない敬語を使うと、痛い目に合う。つまり、敬語を使えない奴は、「自社代表」として戦場に立つ資格がないと見なされるのだ。だから、上司にぐらいは敬語を使って「もっと、僕を使ってくださいよ!」とアピールするのが良いのではないか。
敬語表現が多いのは、日本語だけの話ではない。例えば、各国の軍隊では上官の命令に従うべく、独自の敬語表現が作られている。「アメリカでは敬語がない」と思っている人がいたら、アメリカはれっきとした階級社会で、教養がないと思われた人間は、同等には扱われない。それに比べると、敬語さえ使えば人間あつかいされる日本は、まだ気楽なのである。敬語がカッコいい、という風潮は、一種の「平和ぼけ」だと思う。
また、現代日本語も「話し言葉」と「書き言葉」とは大いに異なる。そして「話し言葉」での敬語表現には表情や声の調子が大事なのである。他人の言葉を「コピペ」しても、それは生きた言葉とはならない。そして、他人は「話している人が自分のことを思っている」ことが感じられない話には耳を傾けないものだ。
敬語とは「相手を立てて、自分に関心を向けてもらうため」の言葉である。決して、自分がへりくだるためのものではない。ファッションと同じ自己アピールの手段の一つとして、感じの良い敬語をマスターすればいいと思う。もちろん、文章を生業にしているような人間は「謙譲語II」や「美化語」の分析もしなければならないけど。