「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」 (評価:D)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

19日から実写映画化された話題作ということで、読んでみた。
3時間で読み終えて、書くのに3日かかった。語るのが難しい本だ。
万引きの帰り道、高校二年の少年は、正体不明のチェーンソー男と戦う女子高生と出会い、協力を申し出る。彼女は断るが、少年は強引についていく。なぜなら、少年には必死になれるものや守るべきものがなかったからである。そして、少年はチェーンソー男と少女との戦いの日々に身を投じることになる。
チェーンソー男を見た者は、少女と少年の二人だけ。おそらく、チェーンソー男とはピーターパンのような存在なのだろう。妖精が見えないのと同様に、僕にはチェーンソー男を見ることはできない。ただし、ピーターパンの存在意義を僕は認めることができるが、この本の存在意義については首をかしげる
「共感はできても共鳴できないフィクションに価値はない」と僕は思う。そこには、文学とかライトノベルとかいう分類は無いはずなのだ。たとえ、高校時代にこの本を読んでも、僕は「共鳴」を見いだすことはできなかっただろう。この本はあなたをどこにも連れて行かない。


「気が強い女性」がブームであるらしい。初詣の参拝客がアニメ効果で倍増した埼玉の鷲宮神社を舞台にした「らき☆すた」という作品がある。この登場人物に、柊かがみ柊つかさという双子がいる。柊かがみはしっかり者の姉で、柊つかさはうっかり屋さんの妹。漫画の序列では、つかさが上でかがみが下だった。作者はかがみというキャラを嫌われ役として考えていたのではないかと思う。ところが、アニメの序列では、かがみが上でつかさが下となる。人気も、姉のかがみのほうが高い。「ツンデレ」という言葉で柊かがみのことを形容されることが多い。表面上はつっけんどんで鋭い語調はするものの、実は照れ隠しにすぎず、内面は優しい女性のことらしい。
諸説あるだろうが、この「ツンデレ」の原型となる女性キャラクターの一人は、エヴァンゲリオンに出てくるアスカという少女だと思う。アスカは主人公のシンジに「もっとしっかりしろ」と厳しくあたる。しかし、共に行動し続けることで二人には信頼関係が生まれる。シンジはアスカの強さと美しさにひかれるようになる。しかし、最終的にアスカはシンジを拒絶する。あくまで、シンジは「友達」であって「恋人」ではないからだ。あの物語があと十年つづいても、シンジとアスカが結ばれることはない。
僕自身「強い女性」が好きである。少なからずの、強く美しい女性たちに出会った。僕は彼女たちと親しくなり、その「強さ」の理由を探ろうと思った。そして、彼女たちの側には例外なく「強い男性」がいることを知った。彼女たちの強さの源には、それ以上の強さがある男性の存在がある。もちろん、強さの基準はいろいろだ。腕力かもしれないし、財力かもしれない。ルックスも重要だ。
僕はそんな「強い男性」とも親しくなった。彼らは必ずしも彼女たちが思うほど「強い男性」でない場合がある。知識がいい加減だったり、いろいろ手を広げたけれどうまくいっていなかったり。この程度の男か、と心底ガッカリしたことがある。とはいえ、僕がいくら言っても、彼女がその男の弱さを認めることはない。なぜなら、地球が太陽のまわりを回るのと同じように、それは彼女にとって絶対的なことであり、第三者の僕がどれだけ真実を伝えても、その法則は曲げてはならないものである。それは、彼と彼女の二人の間でしか解決できない問題である。
話をこの本「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」に戻すと、主人公がいくら協力したところで、チェーンソー男と戦う少女と恋人関係になることはありえない。いくら、ファンタジー小説とはいえ、結末にはそう記すべきであった。主人公は生きがいを求めて、少女に助けを申し出た。運転手の立場に甘んじても、少女のためにできるかぎりのことはした。しかし、少女と結ばれることはなかった。その言葉が書かれていることだけを信じて最後まで読んでみたが、そのような箇所はどこにも見られなかった。「不思議の国のアリス」にも、それは少女の夢にすぎなかったのかもしれない、というエピローグが用意されていた。それが、フィクションを書く者の最低限の義務ではないだろうか。
どうも「強い女性」を求めている男性たちは、女性と「友達のように付き合いたい」と思っているふしがある。しかし、女性にとって「友達」と「恋人」は完全に別のものである。強い女性になればなるほど、その分類は強固なものになる。「友達」と見なされた時点で、恋愛という勝負はゲームセットなのだ。もちろん、がんばれば、キスやセックスはできるかもしれないが、彼女の強さの源である「強い男性」と、同格に扱われることはない。ある人は、そんな彼女のせっかくの好意であるキスやセックスを誤解した挙句「ビッチめ!」と罵るだろう。しかし、それは女性の行動原則を知らなかった愚かさのせいである。
女性たちは時として「不思議の国のラピュタ」の「ロボット兵」を思わせる。すでにラピュタは滅んでも、その命令を忠実に遂行し続ける兵士たち。もうあきらめたら、と言う僕たちの言葉を無視して、彼女たちを日々をたくましく生きている。その切なさに比べたら、この本の感動なんて、たいしたものではない。

【参考】