渋谷


坂の多い街だ。
渋谷は、ハチ公前広場から、それぞれ放射線状に坂が伸びている街だと考えてくれれば良い。
道玄坂、文化村通り、センター街……。様々な選択肢を持つ人の群れが、スクランブル交差点に集い、信号を待つ。その多さは、倦怠期のカップルでも手をつながずにはいられないほどだ。
女性はキャッチを拒まなければならないが、男である自分には関係ない。ポケットに手を入れて、人ごみの中を確かな足取りで歩む。年老いた人には、この群れの中で、みずからの目的地へたどり着くだけでも、相当なエネルギーを消費するだろう。渋谷は疲れる、と少なからずの人が語る。
JRの駅舎は狭く、そのためホームレスが目立たない。駅周辺の道も、ホームレスが寝転がるほどの余裕はほとんど残されていない。朝のセンター街の惨状はとても正視できたものではないが、人ごみの中にまぎれていると、汚さに目が行かない街ではある。
渋谷に慣れると、それほどファッションの最前線ではないと思えてくる。不景気のせいだろうか、道化じみた衣装はそれほど見かけない。奇抜なファッションへの余力が、もうこの国には残されていないのだろうか。三十代以上の仕事に向かう男性のほうが、はるかに多い気がする。代官山に比べると、着ていく服を考えるほどの街ではない。スノッブな街ではないと思う。

道玄坂をのぼっていると、かつては外国人女性によく声をかけられたものである。「五千円デス」「三千円デイイデスカラ」。それぐらいのお金しか持っていないと思われていたのか俺は。小路に入ると風俗店が多い。別方面に行くと、ラブホテル通りに入る。
道玄坂は外国人が多い。松屋に入ると、店員と客を含め、日本人が自分一人だったことしか記憶にない。
マークシティを通れば、ハチ公前公園を経由する必要はどこにもないのだが、時々は人ごみに揉まれたくなり、ついついスクランブル交差点に足を運ぶ。今日は、ハチ公前広場には珍しいことに空白地帯があった。その空白の向こう側には「Free Hug」というのぼりを掲げた集団がいた。足早に立ち去る。
渋谷は自転車を見かけない街である。自転車で走るのは、早朝でなければ不可能だろう。実は東急の裏側ぐらいになると、人通りも絶えて、サイクリングに適した道である。もちろん、坂が多いので、変速自転車でないと厳しいと思う。
一度、深夜の渋谷を自転車で走りたいと向かったら、途中で警察の職質を二度も体験した。彼らからすれば、終電を逃して自転車を盗んだ男にしか見えなかったのだろうか。あまりにも腹立ったので、それ以来、夜に自転車を走らせることはひかえている。
実は渋谷にはIT関連の企業が多い。wikipediaで調べると、駅別では秋葉原についで二位だ。しかし、この二つの街は、メディアによって、なんとも対照的に語られる。渋谷の109には今日も女子中高生が集い、秋葉原ラジオ会館には男たちが集う。渋谷の企業でありながらもアキバ系であったり、秋葉原の企業でありながらもシブヤ系であったり。作っている人間は同じでも、受け手側は違う。そして、受け手側は互いに反目し合っている。商売とはそういうものだ。
この街が好きか、と言われれば首をふるだろう。池袋に比べると、遊ぶ場所もあまり知らない。スクランブル交差点で、ふと人々の会話に耳をかたむけていると、まだまだ僕は渋谷のことを知らないと思う。僕の知らない素敵なことを、彼らが体験しているような気がする。しかし、信号が変わると、そんな感傷はすぐに消えうせる。自分の目指すべき方向へしっかりと足を運ばないと、人々とぶつかり続けなければならない。今日も渋谷の街は立ちどまって考える人を呑みこみ、押しながしていく。
この街を歩くのは、確かに体力がいる。