450年続いた日本独自の民俗宗教 ― 宮崎賢太郎『カクレキリシタンの実像』(評価・A)

 

 

厳しい弾圧のなか、民俗宗教に変容した「キリシタン」信仰とは?
現地調査に基づく、カクレ信仰の具体例を知る最良かつ最後の一冊。
 

 いま、約450年続いた日本の地方文化が消滅しようとしている。
 カクレキリシタンという民俗宗教のことだ。
 

 戦国末期から明治にかけての日本のキリシタン弾圧の犠牲者は4万人と推測されている。しかし、彼らが命をかけて守り通したものは、キリスト教の教義とはまったく異なるものだった。
 明治以降、キリスト教神父が潜伏したキリシタンと会って驚いたのは、彼らが「三位一体」をはじめとしたキリスト教の初歩的な教義すら知らなかったことだ。
 彼らの唱える「オラショ(祈祷)」はキリスト教司祭不在の潜伏期間で変容し、その意味を理解する者は誰もいなかった。寺請制度により「仏葬」が義務づけられた彼らが生み出した「二重葬」は、先祖と同じあの世に行きたいという「先祖崇拝」から作られた、キリスト教の教義にはないものだった。
 

 本書は、潜伏時代の信仰スタイルを継承する長崎・生月島への三十年余りの実地調査を通じて、カクレキリシタンの宗教行事を具体的に記している。それらは後継者不足と高齢化により、次世代に伝わることは絶望的な状況である。だから、本書の著者はカクレキリシタンの信仰を実地調査した最後の学者となるだろう。
 著者はキリスト教徒(カトリック)だが、宗教者としての見解は最終章以降にしか書かれておらず、学者の視点に徹底している。実地調査による具体例を重視した民俗学要素の強い内容だ。
 だから、本書は日本のキリスト教史を知りたい人だけでなく、日本の地方文化・民俗宗教を知りたい人にも格好の教材だろう。
 本書は「カクレキリシタン」の実像に迫った最良かつ最後の一冊となるはずだ。
 

 

◆紹介

 

(1)キリシタン弾圧の殉教者4万人の実態

 

 日本人は知らないが、国際的に知られている日本の史実は多くある。キリシタン弾圧もその一つだ。
 キリスト教の信仰のために命を失った者を、宗教用語で「殉教」という。
 日本のキリシタン弾圧による殉教者は、場所・名前が明らかな者だけでも4045人を超え、実数は4万人にのぼると推測されている。
 

 キリスト教は世界でもっとも流布している宗教である。キリスト教史を通じて歴史を知ろうとする者は多い。だから「日本では約4万人の殉教者を出した」という事実は、世界に出ようとする日本人は知らなければならないことだ。「キリスト教だって……」と、自国の歴史も知らずに他者の宗教史に反論するのは、第三者視点だとちょっと見苦しい。
 

 多くの人は歴史の授業で「踏み絵」や「天草・島原の乱」について知っているだろう。ただ、この「殉教4万人」のなかに、「天草・島原の乱」で原城にたてこもったあと首を斬られた3万数千人の農民は含まれていない。
 

 日本のキリシタン史では、1614年の江戸幕府の「大禁教令」から日本に最後まで残っていた司祭小西マンショ(小西行長の孫)が殉教した1644年までを《迫害と殉教の時代》という。しかし、殉教した人の数でいえば、その後の潜伏時代のほうが多いのだ。
 

 例えば、1867年の「浦上四番崩れ」では、明治政府が処分を行い、浦上一村3400人余りが西日本各地に流罪となった。1873(明治6)年にキリシタン禁令が解かれて帰村するまでに、600人余りが死亡している。
 この「崩れ」とは、密告によって父祖伝来のキリシタンの神を拝む人々が集団的に存在することが露見し、取り調べの結果、一網打尽に捕らえられ処分された事件のことである。
 翌、明治元年にも「浦上信徒流配事件」「五島崩れ」といった殉教事件が起こっている。キリシタン弾圧は、江戸初期だけではなく明治まで行われていたのだ。その記録がもっとも多いのは、今の長崎県だが、九州各地や愛知県をはじめ、全国各地でキリシタン弾圧の記録は残っている。
 

 ところが、この殉教者たちが信じていたものは、キリスト教の教義とは大いに異なるものだった。例えば、1868(明治元)年の浦上教徒流配事件を説諭したキリスト教指導者は次のような感想を残している。
キリスト教の教えのために流罪にまで甘んじた者が、肝心の教えを知らない」
 

 キリスト教の基本教義といえば「三位一体」「原罪と贖罪」などであろうが、潜伏していたキリシタンは、そのような教えをまるで知らなかった。それは後述する彼らの宗教行事からも明らかになるだろう。
 だから、彼らは「キリスト」のために命をかけたわけではないのだ。
 

 この事実は、別段珍しいものでもない。いま、中央アフリカで、イスラム教徒とキリスト教徒との間で争いが繰り広げられ、多数の者が命を落としているが、彼らのすべてが「キリスト」や「アラー」のために命をかけているわけではないはずだ。彼らは自分が属している集団のために戦っているのである。
 

 しかし、日本のキリシタン信仰が独自の変容を遂げたのは、次のような歴史的経緯がある。それを知れば「日本の民俗宗教」を考えるうえで「カクレキシリタン信仰」が格好の素材であることがわかるはずだ。
 

(2)「集団改宗」と「集団棄教」で残された民衆が信じた宗教

 

 カクレキリシタンにとって三位一体とは「仏教」「キリスト教」「神道」である。実際、現在でもカクレキリシタン信仰が続く長崎・生月島では、神棚と仏壇とともに「御前様」がまつられているのだ。
 これは「仏教を隠れ蓑にしてキリスト教を信仰せざるをえなかった潜伏時代のなごりだ」と一般的には考えられている。しかし、明治6年にキリシタン禁令が解かれても、彼らは仏教や神棚を焼き捨てようとはしなかった。
 本書では「カクレ(キリシタン)をやめた後、仏教一本になる人が約8割、神道が約2割弱程度で、新宗教という人もいくらがいるが、カトリックは1%もいない」と記している。
 カクレキリシタンは、唯一絶対の神を信仰しているのではなく、父祖伝来のキリシタンの神と共に仏教の信者でもある「多神教」なのだ。
 

 なぜ、キリスト教の基本教義である「一神教」が浸透しなかったのかといえば、戦国時代の「集団改宗」と、その後の「集団棄教」を知らねばならない。
 

 現在の日本のキリスト教徒は、カトリックプロテスタント諸派合わせても約65万人。人口の1%にも満たない。
 いっぽうで、戦国末期の17世紀初頭、キリスト教徒は総人口の3%いたと考えられている。
 なぜ、戦国時代にここまでキリスト教徒(キリシタン)がいたのかといえば「集団改宗」のためである。
 

 西国の戦国大名の少なくない者がキリシタン大名となったが、彼らのうちでキリスト教の教義を理解していたのは、高山右近ぐらいではないかと、本書の著者は語る。
 かつて、ポルトガル人は鉄砲をもたらし、当時の人々に驚異的な力を与えた。同じポルトガル人のキリスト教も、同じように「力のある神」とされたのだ。八幡大菩薩や摩利支天よりも強い力があると、キリスト教の神は見なされたから、当時の武士は改宗したのである。
 南蛮貿易という利益を得るためにも、西国の戦国大名は、その教義に興味を持たぬままキリシタンへの改宗した。そして、それを領民にも求めたのだ。
 具体的に、長崎の大名、大村純忠の領内の数字をあげてみると、1574年から76年のわずか三年間で3万5千人が改宗したという。
 伝道が許されたポルトガル人宣教師は、その教義を浸透させようとした。しかし、彼らも上層から下層への改宗を基本方針としていた。だから「三位一体」「原罪と贖罪」といったキリスト教の根本的な教えは、民衆にはほとんど伝わらなかったのである。
 

 1614年、江戸幕府からキリシタン禁教令が出され、厳しい迫害を受けることになった。有名な「踏み絵」などが民衆に課せられるようになる。
 すでに、鎖国政策がとられ、キリシタンであることで南蛮貿易の利益を享受できない大名たちは、高山右近をのぞけば、あっさりと棄教する。そして、それを領民にも求めた。
 この「集団棄教」も武士層を中心に行われた。こうして、文字を知る知識人たる武士層はほとんど棄教するか一部は殉教することになる。
 

 1644年に小西マンショが殉教すると、江戸末期の開国までの約230年間、キリスト教の宣教師は一人もいなくなってしまう。そして、その教えを直接受けた知識人階層である武士も徹底的な迫害を受けた。
 

 こうして、指導者なきまま、民衆のキリシタンは潜伏するようになったのだ。日本独自のカクレキリシタンという信仰は、民衆の間で伝えられたからこそ、日本の民俗宗教の典型ともいうべき、地方文化となったのである。
 

(3)カクレキリシタンの宗教行事「二重葬」

 

 本書によれば「カクレキリシタン儀礼は、神道行事に酷似している」という。
 

 ポルトガル人宣教師から教わったオラショ(祈祷)は、原意とは異なるものに変容する。その意味を知る者はなく、呪文として口伝されていったのだ。
 

 そんな信仰を象徴するものが葬式である。カクレキリシタン用語では「戻し方」という。
 寺請制度では、すべての者は仏式で葬式を営むことが義務づけられた。潜伏時代、カクレキリシタンの最大の問題が、この仏式の葬式だった。
 

 キリシタンの葬式で送られた先祖はキリシタンのあの世にいるはずだが、自分たちは仏式の葬式を義務づけられている。これでは、あの世で先祖に会えないではないか。
 

 この問題を解消するために考案されたのが「経消し」のオラショと、仏式とキリシタン式の二重の葬式である。
 仏式の葬式が行われている間も、お経の効力を消す「経消しのオラショ」をキリシタンたちは唱え、仏葬が終わるとあらためてキリシタン式の葬式を行ったのだ。そうすれば、死後、キリシタンであった先祖と同じ来世に行けるとされたのだ。
 寺側もこのようなカクレキリシタンの二重の葬式を黙認していた。彼らが寺の門徒としての勤めを果たしているかぎり、見て見ぬふりをしていたようだ。もし、事が明らかになれば、自分たちが処罰されるかもしれないし、檀家を失うことにもなると、寺側は考えていたのだろう。
 

 この二重の葬式が、明治以降も現在に至るまで行われていたというから驚きだ。
 キリスト教が許されても、カクレキリシタンは疑問を抱かずに二重葬式を行ってきたのである。「先祖が守ったやり方を、忠実に伝えていくのが自分たちの信仰のあり方」というのが、彼らの根本姿勢なのだ。
 

 本書ではその宗教行事が詳細に記されている。指導者なき民俗宗教がどのように存続したか興味がある者には楽しめる内容だろう。
 

(4)キリシタンが命をかけて守ろうとしたもの

 

 このように、カクレキリシタンの信仰スタイルは、日本の民俗宗教そのものである。
 では、なぜ、彼らは幕末に至るまでの厳しい弾圧の中でも、その教えを命がけで守ろうとしたのだろうか。
 その理由を本書ではこう記している。
 

「カクレをやめたり、カクレの神様を捨てたりすればタタリがある。それが怖くてやめられない」
 

 民俗学でいう「ケガレ・タタリ」の観念が、カクレキリシタンにも強く根付いている。日本の民俗宗教では、女性は「生理=血のケガレ」があるとして、宗教行事では表立って参加することができなかったが、カクレキリシタンの信仰スタイルも同じだった。
 

 カクレキリシタンが命をかけて守ろうとしたのは先祖代々の「様式」を貫くことだった。その意味を知らずとも、彼らはその行事を遂行してきたのだ。
 

 もう一つ、本書では書かれていないが、民衆がキリシタン信仰を守っていたのは、彼らが漁師だからではなかったかと思う。
 キリスト教を伝来したのはポルトガル人である。はるか海のかなたから、肌の違う人が伝えてきた宗教。その神様は、海の男たちにとって、どんな神よりも「強い」と感じたのではなかろうか。
 かつて、キリシタン大名が「鉄砲」と同じような強さを求めて、キリシタンの神を信じたのと同じように、海の男たちは「キリシタンの神を拝めば、船が難破することはない」と信じていたのではないかと感じる。
 

 では、そんな彼らを江戸幕府は徹底的に弾圧しようとしたのか。例えば「浦上一番崩れ」では、88体の石仏を建てるための寄進を浦上村民の多くが拒否したことを庄屋が訴えたと記されている。
 「キリスト」のために命を捧げていたわけではない民衆への厳しい弾圧とその殉教者の多さは「異質なものを認めない封建制度の受容性の無さ」を示しているといえないか。
 江戸時代は平和だったとよくいわれるが、キリシタン殉教者の数を知ってもなお、その封建制度理想社会と賛美できるであろうか。
 日本人として、このような負の歴史は知らなければならない事実であろう。
 

(5)日本人と宗教
 

 本書では、最終章とあとがきで、日本のキリスト教の現状が語られる。これは、民俗学として「カクレキリシタン」を読んでいた者の反発を招くかもしれない。
 だが、それは、本書の大部分で、著者は自身がカトリック教徒でありながら、一人の学者としてカクレキリシタン信仰に迫っているからだろう。読後感に満足できない人も、著者がカクレキリシタン信仰を調べた動機には納得できるのではないか。
 

 個人的な話になるが、僕の家は真言宗御室派である。真言宗では「般若心経」と「十三仏真言」を唱えることが求められるが、いずれも日本語ではなく、その意味を教わることはない。
 だから、カクレキリシタンが自身でも意味のわからぬオラショを口伝してきたことに違和感はない。真言宗も同じだからだ。
 

 カクレキリシタン信仰がすたれていったのは、地方ゆえの後継者不足である。その文化を継承するためには、多大な労力が必要である。葬式一つをあげるにしても、カクレキリシタン信仰では二重の葬式をしなければならない。経済的負担は大きい。
 この「先祖代々の教えを守ること」の負担という問題は、他の日本の宗教でも同じことである。
 

 個人的に、キリスト教などの一神教は「神の不在」から始まると考えている。ローマ帝国キリスト教が浸透した経緯を調べれば「現世で神は何者も救わない」という絶望が民衆の改宗を招いたことがわかる。
 現代人の多くは、神は存在しないと考える。しかし「運命にあらがえない人間」を実感している人は少ない。そこに僕は危うさを見る。
 

 日本の民俗宗教は「先祖崇拝」である。国民の大部分が仏教信者といっても、その宗教行事のほとんどは、墓参りなど「先祖崇拝」に関わるものばかりだ。いっぽうで、日本の現在社会では先祖との繋がりが希薄になっていると指摘されている。自分の四代以上前の祖先のことを知らない人が増えているという。経済的に豊かになる一方で、墓地を探すのも難しい時代になっている。
 はたして「神はいない」と信じることでで、みずからや家族の「死」という運命と向き合うことはできるのだろうか。
 

 日本人と宗教を考えるうえでも、本書は格好の材料にはなるだろう。
 ただし、多くの読者にとっては、聖職者がいないゆえに民俗宗教の典型となったカクレキリシタンの信仰スタイルに関心を抱くことになるだろうけれど。
 本書はカクレキリシタンを知る、最良かつ最後の一冊である。評価はA。