【感想】中島京子『小さいおうち』 (評価・A+)

 
《女中》視点だからこそ描けた、昭和十年代の《東京モダン》
幻の東京五輪(1940年)と戦時下の窮状の息づかいが伝わる名作!
 

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

 
 今年(2014年)のベルリン国際映画祭山田洋次監督『小さいおうち』で女中タキを演じた黒木華が、女優部門の銀熊賞を受賞した。ベルリン映画祭の銀熊賞というのは、部門別最優秀賞のことで、金熊賞は作品部門しかない。すなわち、黒木華は、ベルリン映画祭の最優秀女優賞を獲得したのである。
 今年の一月末から公開された映画『小さいおうち』は、クレジット上では《主演・松たか子》になっている。映画を未見の人はこのニュースに二重の驚きがあっただろう。80歳を過ぎた山田洋次監督の映画が国際映画祭で認められたことだけでなく、主演の松たか子を差し置いて、黒木華銀熊賞を受賞したことである。
 これは、映画を見た者なら納得の結果だろう。映画『小さいおうち』の魅力は、なんといっても、女中タキのポジショニングの巧みさにあるといってよく、その動きは見ているだけで「メイド? 知るか! 日本には女中あり!」と感嘆できる惚れ惚れするものだ。
 その軽やかな身のさばきは、日本映画の殺陣(たて)の伝統を引き継ぐものだ。実績と人脈豊富な山田洋次監督作品だからこそ、あの洗練された女中の動きは実現できたのだ。
 その映画の原作は、第143回(2010年上半期)直木賞を受賞した中島京子の同名小説である。山田洋次監督の年齢からすれば、ごく最近の小説となるだろう。80歳近くの監督は、その小説に心を震わせて、作者に手紙で猛アタックし、映画化するに至ったらしい。この事実だけでも、今作は読む価値があるといえる。
 
 
 原作『小さいおうち』は、最終章をのぞき、かつて平井家に女中として奉公した老女タキの回想録という体裁をとっている。映画はその設定をほぼ踏襲している。僕は《自分の住んでいるアパートがロケに使われた》という個人的理由で映画を見て、その後に原作にふれたのだが、それでも小説を読む新鮮さに満ちていた。
 
 今作には三つの柱がある。一つ目が《女中》という社会的立場を、時代遅れなものではなく、リアリズムをもって描くことに成功していること。
 作者は『女中譚』という中編集を出している。僕は未読だが、その内容は、文学作品に出てくる《女中》物語を下敷きに、現在によみがえらせたものであるという。
 女中ときくと、封建主義的なものを連想されるだろうが、昭和初期においては、東京に女中は多く、社会もその存在を受容していたという。
 例えば、昭和11(1934)年におきた二・二六事件で、岡田首相の命を救ったのは、二人の女中であった。彼女らの機転をきかした献身ぶりは、当時の新聞で絶賛されたのだ。
 対米戦争(太平洋戦争)に突入してから、東京にいた多くの女中や書生は、郷里に帰ったり、嫁にとついだり、戦争に行ったりした、と今作では記されている。しかし、タキは昭和19(1944)年まで、平井家の女中を勤めつづけた。
 今作における老女タキの、自身の女中奉公を語る筆はいきいきとしたものだ。平井家の防火担当者を命じられ、もんぺ姿で防空練習に参加していた自分を「いまでいったら、キャリアウーマンということになるであろうか」と語るぐらいである。
 タキの回想記では、女中と併記して《書生》が出てくる。書生については、文学作品では《女中》よりもなじみがある。インテリ書生を抱えることは、かつて一種のステータスであった時代があった。それを踏まえると、タキのいう「よい女中なくしてよい家庭はない」という言葉には納得できないか。
 女中や書生について考えながら、村上春樹の『海辺のカフカ』の一部分を思い出した。ベートーヴェンの伝記を要約した箇所である。
 かつて、音楽家は使用人の階層に属していた。ベートーヴェンの先輩格であるハイドンは、貴族の家に寄宿しているとき、召使いたちと一緒に食事をとっていた。それが当然のことだった。しかし、ベートーヴェンは違った。貴族とともに対等にテーブルに就くことを主張し、ものを壁に投げつけ、激怒した。ベートーヴェンの音楽が生まれた時代、音楽家の地位は、かくのごとく低かったのだ。
 時代とともに地位は変わる。女中と聞いて「大変だなあ」とか「ご主人様には逆らえず、ごにょごにょ……」と考える人は、今作を読んでみるといい。女中のいる家庭のルールを知るはずである。
 そして、このリアリズムあふれる《女中》描写が、山田洋次監督を動かしたのだ。銀熊賞という国際評価を得た女中タキの演技は、今作の説得力ある記述抜きには生まれなかったであろう。
 
 そして、《女中》という社会的立場をよみがえらせたことで、今作の最大の読みどころである、昭和十年代の《東京モダン》を浮かび上がらせることができたのだ。。
 昭和十年代とは沈鬱な時代であると、我々は教えられた。軍国主義をひた走り、言論が弾圧され、誰もが貧しさに耐えていた。中国との戦争は泥沼化し、対米戦争に踏み切ることで、国民の生活は窮状をきわめた。そう教科書に記している。
 ところが、それを否定する史実がある。昭和10(1935)年、東京で夏季オリンピック万国博覧会が五年後に開催されることが決定した。昭和13(1938)年には、冬季オリンピックも札幌で、昭和15(1940)年に同時開催されることになったのだ。
 日中戦争支那事変)の昭和12(1937)年12月には、南京陥落の知らせに東京銀座のデパートで「大売出しセール」が行われていた。これは写真でも残っている。
 はたして、昭和十年代の東京はどうであったのか。いつから人々は貧困をしいられ、空襲におびえるようになったのか。
 今作は《女中》という市井の視点を獲得したことで、そんな昭和十年代の《東京モダン》を描くことができたのだ。1940年のオリンピック開催で競合していたヘルシンキ(フィンランド)を「この東京にかなうはずがない」と豪語していた当時の東京人の息づかいが、女中の視点を通じて伝わってくるのである。
 今作には歴史的考察はない。なぜ、敗戦に至ったかについて、女中であったタキは鋭い意見を出すことはない。ただ、女中であるゆえに、真珠湾攻撃に踏み切ったとき「世の中がぱっと明るくなった」という東京の雰囲気を伝えることができたのである。
 余談だが、日本が米国相手に開戦したのは、ABCD包囲網で資源を断たれた窮余の打開策である。それに失敗し多大の犠牲者を出した反省から、戦後日本は「技術立国」を目指し、我が国に資源がないことをくどいほど子供たちに教えてきた。
 一方で、第二次世界大戦時の米軍太平洋艦隊司令長官であるチェスター・ニミッツは、日本の敗戦は「人事の問題」に尽きるという。「人事の硬直化が敗戦を招いた」と、ニミッツは韓国軍人ペク・スンヨプに語った(ペク将軍の回想記による)
 ともあれ、戦時下の日本の様子といえば、思想統制言論弾圧が真っ先に思い浮かぶが、その狂気は突如襲ってきたものではない。軍部が政府の命令をきかなくなった満州事変を、各種メディアが愛国的行為と絶賛したことが、我が国の破滅への第一歩だったのだが、ABCD包囲網で日本を締め付けた米国にしろ、奇襲による限定戦争に勝機を見いだそうとした日本にしろ、別の道はなかったのかと考える。その契機として『小さいおうち』は参考になるのではないだろうか。
 戦勝にわく市井の人々を描いた今作に、戦争賛美を感じる者がいるかもしれない。しかし、戦争に現状打破を求める愚かさを、今作ではしっかりと書いている。
 例えば、女中タキが最初に奉公した小説家と、戦時中に再会するシーンがある。そこで、小説家は相手が女中であることに気を許したのか、このようなことを語る。
「僕だって、一生懸命やっている。(略)国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難するものがあらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできない。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かが非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなってくる。そうはしたくない。しかし、しなければこっちの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。悩む。書く。火をくべてしまえと思う。あるいは、投函してしまえと思う。どちらもできない。いやはや」
 なぜ、戦時下の文化人が戦争に加担したのか。この小説家の言葉は重い。
 また、今作の最終章では、不本意に従軍した板倉正治のその後が語られている。板倉は美術学生で、女中タキが奉公した平井家の旦那が重役を勤める玩具会社に入社する。子供に絵を描いてみせたり、音楽に精通したりと「もっとも兵隊にふさわしくない」社員と考えられていた板倉にも召集令状は来る。南方戦線に送られた彼は、帰国してから、絵本作家になる。その内容は、平井家に遊びに来ていたときの芸術肌の印象とは真逆のものである。イノセンスを徹底的に笑いものにする板倉のグロテスクなブラックユーモアはカルト的な人気を誇り、死後、記念館が建てられるほどである。
 映画では、戦後の板倉についての記述は少なかったが、小説ではその作風の変化を通じて、戦争が人間に及ぼす恐ろしさを見事に伝えている。
 この箇所を読みながら、僕はJ.D.サリンジャーの短編『エズメに捧ぐ ― 愛と汚辱のうちに』を思い出す。『ライ麦畑』で有名な彼は、第一次世界大戦に従軍したが、その経験を小説で書こうとはしなかった。その唯一の例外が『エズメに捧ぐ』だが、はっきりいって意味不明な内容である。ただ、読者はそのような形でしか戦争を描けなかったサリンジャーに、その悲惨さを感じるのだ。
 戦後の日本では、一貫して反戦を叫んでいた共産主義者がもてはやされるようになった。しかし、ひとくちに共産主義者といっても、小林多喜二のような信念ある者もいれば、モスクワの命令に追従するだけの教条主義者もいた。両者を混同して《イデオロギー》という枠組みでとらえてしまったゆえに、戦後日本の思想史は理解しにくいのだが、今作の《女中》視点からとらえた昭和十年代の東京モダン描写は、その思想硬直化をやわらげる効能があるのではないかと僕は考えている。
 
 さて、最後の三つ目の柱である。言葉にすると《同性愛》になる。女中タキは奉公していた時子奥様に惚れきっていた。今作ではその秘密が、死後にあきらかになるという仕掛けをほどこしているので、どうしても感想ではその印象が強くなる。
 しかし、女中タキにとって時子奥様は、東京モダンを具現化したような華やかさの象徴であり、それゆえに憧れをいだいたのである。例えば、漫画『ベルサイユのばら』で、ロザリーがオスカルの服の匂いをかぐ場面があるが、女中タキの時子奥様を見る眼差しもそのようなものだと感じる。
 では、ロザリーが男性と結婚したのに、女中タキが死ぬまで時子奥様を想い続けたのはなぜか。これは彼女が同性愛者であったかというよりも、戦争による断絶によるせいだろう。
 映画版では、同性愛については匂わせる描写にとどめている。ただし、女中タキの憧れの存在として、時子奥様の役に松たか子を抜擢した。彼女以上のキャスティングはあるまい。その格ゆえに、映画のクレジットでは、主演・松たか子で、黒木華の名前は四番目あたりに記されている。これを日本映画の弊害といってしまえばそれまでだが、そんな格があるからこそ、映画では、女中タキの時子奥様の憧れがうまく描けていたと感じる。特に、最後に華やかだった時子奥様がもんぺ姿で女中タキの帰郷を見守る場面には、筆舌尽くしがたい印象を僕に与えた。
 この《同性愛》という隠れているようであからさまな主題は、この物語の推進力としての役割は大きいだろう。ただ、それは《東京モダン》を具現化した時子奥様だからこその慕情であり、女中であった老女タキに回想記を書かせるに至ったのだ。
 
 今作の感想を簡単にまとめると次の通り。
 《女中》という視点を確立したからこそ、他の文学作品では表現できなかった、昭和十年代の《東京モダン》を、思想背景という幻を抜きにして、鮮やかによみがえらせることができている。
 80歳近い山田洋次監督を、新作映画にむかわせた力のある今作は、老女の回想記という形式ゆえに読みやすく、万人にお勧めできる名作となるだろう。