【あの花】最終回感想「なぜ、目の前のニンジンに全力疾走?」

 

 
 「あの花」こと、『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』というアニメは、全体的に説明不足だったと思う。
 例えば、第10話の「花火」の場面。あれは、秩父地方の「龍勢」という伝統あるものだったらしいんだけど、知らない人には「ちょっとショボイ」と感じたんじゃないのかな、と。
 できれば、それぞれの回で、物語の舞台となった秩父のことを、一枚絵とめんまのナレーションで紹介したりとかできなかったのか。一分ぐらいでもいいからさ。
 そんなものに毎回一分をさくほどの余裕はなかったのかもしれないけど、あのアニメの最大の魅力は、秩父の町をうまく描いている、というものだったから。
 アニメを見て、視聴者は「よし、秩父に行って、聖地巡りするぞー!」と思うかもしれないけど、なかには僕のように「自分の故郷を舞台にするならば、どこにしようかな」と感じたりする人もいたはずだ。
 僕の故郷なんて、他人に自慢するものなんて何もないけど、僕なりに生きてきて、ひそかに好きだった景色があったりする。
 「あの花」を見て僕が強く思ったのは、秩父って町が聖地にふさわしい場所かってことよりも、秩父って町をどのように描いたか、ということ。どんな町にだって、誰かの心をゆさぶるような景色はあるわけで、そういう視点で故郷を見つめ直すのもいいかもしれない、と僕は感じた。それぞれの人には、それぞれ見てきたものがあるし、自分の心を揺さぶるものは、他人の心を揺さぶることだってできるはずなのだ、たぶん。
 
 それにしても、最終話は目の前のニンジンに全力疾走するような話だった。これまでもそういう印象があったけど、特に、最終話はその傾向が強かった。
 見終わったあとで、いろいろ話を整理すると「おーなるほど」と思うんだけど、それを伝えるために、わざわざ修羅場を演出するのはどうかな、と。
 そりゃ修羅場のほうが、心に残りやすいし、わかりやすいのかもしれない。でも、この作品に関しては、違うやり方もあったのではないかと僕は思ったり。
 
 なんだか、岩井俊二の映画みたいだった。印象的なシーンはあったけど、物語全般として見ると「もうちょい良い進め方があったんじゃないか」と感じるような。
 
 さて、今週の日曜に思いついて、月・火・水の三日間で、このブログでサクっとまとめた「ビフォア・ザ・超平和バスターズ」という二次創作について。あのままでは原作ファンは読んでも楽しめないと思うけれど、うまく加工したら「あの花」を見て感じた印象に彩りを添えることができるんじゃないかと感じている。
 まあ、それは「ハルヒコ」プロジェクトが一段落ついてからにしたいけど、最終話が放映されたとたん、公式がいろいろしゃべり始めて、二次創作の余白を台無しにしてしまうので(「まどマギ」的に)一週間以内にはまとめたいと考えている。少なくとも、読んで損はしないようなものにはなる予定。
  
【あの花 二次創作】ビフォア・ザ・超平和バスターズ