図書館で本を借りるのに失敗した
日曜日に、四冊の本を借りたのだが、帰宅後に重大なミスが発覚した。
塩野七生の本が両冊とも「上巻」なのである。
どうして司書さんは教えてくれなかったのか、と嘆きつつ、どうせ下巻はなかったのだし、まあいいや、と自分をなぐさめている今日この頃の僕である。
では、これらの本を借りてきた理由を、簡単に。
塩野七生の本は、かの「ローマ人の物語」の続編である。
あと、「キッシンジャー」の本は、ひそかに制作中の「やる夫シリーズ」新作の幅を広げるために借りた。
当初は、「やる夫シリーズ」新作として、旧約聖書「エレミヤ書」を題材にする予定だったが、「やる夫安重根」が読者を獲得できなかった反省から、もっと一般的なテーマにすべきだと考えた。
そこで、「第四次中東戦争」を取り上げることにしたわけである。
タイトルは「やる夫がイスラエルに戦争をしかけるようです」
さて、ヘンリー・キッシンジャーは、ユダヤ系の米国政治家で、1970年代に国務長官として名をはせた。大統領よりも有名な外交官と呼ばれ、ノーベル平和賞までもらっている。
そんな彼が、第四次中東戦争でどんな役割を果たしたのかを調べてみたら、これがなかなか一筋縄ではいかないのだ。
「キッシンジャー」の本は、斜め読みすると、「ユダヤ陰謀論」を信じてしまいそうな内容である。
また、ノーベル平和賞をもらったベトナム停戦の駆け引きなどの描写は、「狡猾さ」や「虚栄心」が強調されているように感じられる。
それらは、米国でのユダヤ社会の影響力の大きさや、外交の人間くささを知らない人にとっては、嫌悪感をもよおす内容だろう。
キッシンジャーに対する批判の少なからずの原因は、この本の読み飛ばしにあると思う。
だが、そんなユダヤ系の彼が、第四次中東戦争を通じて、エジプト大統領サダトを親交を深めたという事実がある。
キッシンジャーが敬意を抱いた世界の指導者は二人しかいない。中国の周恩来と、エジプトのサダトである。
周恩来は日本人にもファンが多いからなじみがあると思うが、サダトについては、ほとんどの人がくわしいことを知らないのではないか。
サダトは、イスラエルに戦争をしかけたエジプトの大統領なのである。何度も言うように、キッシンジャーはユダヤ系である。
もし、彼がただのユダヤ系米国人ならば、サダトを賞賛するコメントは残さなかったはずだ。
キッシンジャーとサダトの親交には、日本が目をそむけてきた、1970年代の世界情勢が如実に示されている。
それは、東西イデオロギーとか、米国帝国主義とか、そんな単純な言葉ではわりきれないものだ。
第四次中東戦争は、世界のパワーバランスがどういうふうに成り立っているのかを知るための、格好の素材なのである。
ただいま、鋭意制作中の「やる夫がイスラエルに戦争をしかけるようです」のテーマは、ズバリ「愛国心」と「平和」である。
それをテーマに日本を題材にしたものを作れば、「愛国」だの「売国」だの、「右翼」だの「左翼」だの、関係ない不毛な議論が交わされるのだが、「中東」が話題になれば、客観的に読んでもらえるはずだ。
この作品は、エジプト国民の「愛国心」と「平和」の物語である。
日本の政治のことを考えすぎても、視野が狭くなるし、きりがない。
それよりも、現在の中東問題を考えるうえでも避けては通れない「第四次中東戦争」を知ることは、世界の中での「日本」の役割を考える良いきっかけになるのではないかと。
で、これが成功して、先日に公開した「やる夫が伊藤博文を暗殺したようです」も再評価されないかなあ、と淡い期待を抱いている。
もっと多くの人に読んでもらいたいですし。
塩野七生の本は、かの「ローマ人の物語」の続編である。
僕は、巷にあふれる「ローマ人の物語」の愛読者の一人で、終盤の「ユリアヌス」や「フランコ将軍」についても熱く語れるぐらいには読んでいる。
ということで、遅まきながら手にした続編なのである。
これは100%趣味のつもりで借りたのだが、第四次中東戦争のことを書こうとしている僕にとって、イスラム教徒とキリスト教徒について、いろいろ考えさせられる本だ。
塩野七生は「キリスト教徒は嫌い。でも、イスラム教徒はもっと嫌いです」という感情が、文面からにじみ出てくる作家であり、これだけ読んで「なるほど、だから、イスラム教徒のテロリストが絶えないのか!」と思い込むのは、かなり危険なのだが、切り口が面白いので、考える材料としては良いものだ。
と、まあ、最近はこんな本を読んでいる、ということで。