やる夫が伊藤博文を暗殺したようです(あとがき)

 
 
やる夫が伊藤博文を暗殺したようです(1)
 
 
 
(1)安重根について
 
 伊藤博文暗殺実行犯として処刑された安重根について紹介されるとき、次の三つの流れがあります。
 
    (1)安重根自身が書いた自伝『安応七歴史』
    (2)千葉十七看守、栗原貞吉典獄(刑務所長)、安岡静四郎検察官らの証言
    (3)当時の警察・検察による資料
 
 (1)はさておき、(2)と(3)が、あまりにも違いすぎるのが、安重根の実像をつかむ難しさといえるでしょう。
 安重根が捕囚された旅順刑務所において、日本人が敬意を抱いていたことは事実です。安重根は日本人に請われるがまま、多くの遺墨をのこしました。その書は確かに「高潔」ではあります。
 しかし、警察による調書での安重根は「高潔」からは、あまりにもかけ離れた人物です。十五歳で学問をやめた後は、血の気が多い問題児であり、弟によれば「友人は一人もいない」というような男でした。
 
 安重根関連の書籍のほとんどは、(1)と(2)か、(1)と(3)といった感じで、(1)(2)(3)の流れを説得力を持たせて描いたものはないというのが僕の感想です。今回は、これら三つの流れを、それぞれの登場人物に託して、描いてみました。成功したかどうかは、読み手の方々の意見次第です。
 
 なお、安重根の実像について、わかりやすい例を出すと「断指同盟」としてあげられた十二人のうち、まともな職についているのは、警察官である金基竜のみで、二十代の若者が半数にのぼっています。警察の調べでは、その多くがタバコ売りなどをする、定職につかない人たちでした。
 
 
(2)溝渕孝雄について
 
 2010年4月20日現在、Wikipediaの「安重根」の項目によると、何を出典にしているのかわかりませんが、溝渕孝雄は安重根に同情的であり、処刑のあとは職を辞したとあります。しかし、栗原貞吉典獄(刑務所長)が職を辞したのは事実らしいのですが、溝渕孝雄にそのような形跡はありません。
 
 安重根の訊問担当者であった溝渕孝雄は、彼に自伝や随筆を書くのを勧める一方、地方法院で死刑を求刑しました。
 
 果たして、溝渕の意図は何にあったのか。当時の訊問を読めば、溝渕は安に「文明国家を目指すべき道」を必死で説得しているように感じます。しかし、「義士として死ぬ」というみずからの自尊心のため、安は溝渕の意図する思想を拒絶しました。
 
 今作は溝渕を主人公にしています。溝渕が安重根に書いてもらいたかったものはなにか。その意図に、僕は当時、外地におもむいた日本人の心情を感じます。
 
 
(3)二重狙撃説について
 
 伊藤博文暗殺に随行していた貴族院議員の室田義文による「二重狙撃説」、つまり、安重根が真犯人ではないという説が、未だに強い支持を受けています。
 なぜかと考えてみますと、安重根以外は、二人が懲役三年、一人が懲役二年六ヶ月という軽微な刑で解決したこと、半年ほどでの死刑執行という不透明さにあるからでしょう。また、韓国独立を願っていた安重根が、併合慎重派の伊藤博文を暗殺するはずがない、という結果論があるかもしれません。
 
 だが、当時の取調べは、決して求刑を受けた四人だけではなく、様々な範囲に及んでいます。そのなかには、安重根独立運動家として名をはせていた、などの事実誤認も少なくありません。半年という期間は長くはないもの、決して短いものとはいえないでしょう。
 
 僕はこの二重狙撃説については、孝明天皇崩御論争と同じ不毛さを感じます。
 
 
(4)文明国家としての法治主義
 
 日本の韓国統治の失敗の要因を探るならば、日本式法治主義がそれにあたるでしょう。
 
 平石や溝渕など、薩長の支配する藩閥政府、つまり東京から追われ、朝鮮や遼東半島などの外地に赴いた者たちは「どの民族に公平な法治主義」を徹底させようとしました。しかし、日本式法治主義というのは「権威主義」です。この安重根裁判においても、明治政府の裁判干渉がありました。平石は法院院長として、二審制、ついで三審制などの改革をなしとげた一方で、内地の意向にはさからえるだけの強さはありませんでした。
 
 1945年8月のソ連侵攻により、東アジアでの日本の覇権は、あっという間に幕を閉じました。そのあっけない崩壊は、とどのつまり、「文明国家」とか「法治主義」などは、所詮は内地にあらがえない「権威主義」にすぎず、「軍事力」を背景に東アジアを支配していたにすぎなかったことを証明しました。その軍事力を失ったとき、日本人に従う者は誰もいませんでした。
 
 それがもっともわかるのは、満州事変での朝鮮軍独断越境事件です。法治国家としてあるまじきこの蛮行は、当時の新聞には賞賛され、指揮官であった林銑十郎は国民の英雄となり、のちには総理大臣にもなりました。
 
 この作品では、そんな平石や溝渕など、戦前日本人の「弱さ」も描いたつもりです。
 韓国併合100年を機に、日本の法治主義の失敗については、もっと考えなければならないと思います。
 
 
(5)演劇手法について
 
 今作品は、演劇の脚本をかなり意識して書かれています。キャストを冒頭に載せたのもそうですし、年代および舞台が固定なのもそうです。
 
 蛇足ですが、やらない夫(溝渕)が「やる夫」や「お前」呼ばわりしているのは、すべて、やる夫(安)の頭の中のものにすぎません。実際はもっと丁寧な言葉で、やらない夫はやる夫を説き続けていたわけです。
 
 もし、アスキーアートの表現力がある人ならば、もっと劇的な内容になったかもしれませんが、僕はその労力をかけるほどのアイディアや技量はありませんでした。実際に舞台で演じるのならば、照明や立ち位置などで表現できると思いますが。
 
 ただし、安重根の「虚像」を考えるうえでは、時系列順で語っても、なぜ「高潔な人格者」とされたかが、理解しにくいでしょう。また、確証たる事実が、それほど多くないという事情もあります。安重根が逮捕されるまでの資料は、皆無といっていい状況なのですから。
 
 それにしても、女性の登場人物が母親以外にいないのは、演劇作品としては致命的な欠点です。当時の朝鮮半島では、女性蔑視がはなはだしく、安重根の母の名が「趙氏」と、苗字しか残されていないことからも、それがわかるでしょう。その歴史背景を無視して、魅力的なヒロインを描くならば、それは韓国が量産している「歴史ファンタジー」と何ら変わらない内容になるのが難しいところです。