キューバ革命50周年というけれど

 
 今から、50年前、カリブ海に浮かぶ島で「軍隊の力を借りずに革命を成し遂げる」という偉業が達成された。いわゆる「キューバ革命」である。
 さて、今日、1月1日にキューバ革命が成立したとなっているが、そのとき、フィデル・カストロはカンティージョ将軍の裏切りにハラワタが煮えくり返っていた状態。当時の大統領であった、フルヘンシオ・バティスタが政権を投げ捨てて米国への亡命をしたばかりなのだ。
 フィデル・カストロが首都ハバナに入ったのが、1月8日。その一週間が、実は「キューバ革命」のミソなのである。
 個人的には、ウルティア大統領による新閣僚発表の1月5日をもって、キューバ革命の成立としたい。
 ただし、当時、フィデル・カストロは軍最高司令官になっただけで、政治権力をにぎっていなかった。
 その後「農地改革」をめぐる抗争、カミーロの不審な死、フィデルの国連演説、そして、米国とキューバの断交と、まさにダイナミックにキューバの歴史は続く。
 
 さて「派遣切り」などに代表される労働問題に、ゆれたままの2009年。貯蓄もなくなった派遣社員による犯罪や、派遣社員による企業への訴えが報じられているが、これらのニュースには未来が見えない。すでに、マスコミには未来を導く力を喪失している。
 金融リテラシーの常識が崩壊している今、歴史に興味を持つのもいいと考える。
 
 ちなみに、社会主義国家にはストライキが許されない。ゲバラが首都ハバナに入ってしたことは、市民のストライキの停止だった。1970年、目標の生産高を目指すため、フィデル・カストロは、全国民にクリスマス休暇を返上することを提案(もちろん、彼の提案は国策である)。しかし、米国に逆らったキューバは、科学力も経済力もなく、いくら国民が休日返上で働いたところで、日本のような経済発展を遂げることはなかった。これは、計画経済の限界を、カストロゲバラも見極めていなかったためだといえる。
 
 「資本家への搾取がストライキ」であるため、社会主義国家となれば、労働者には「従順か亡命か」という選択肢しかなくなる。まだ、日本には「社蓄か転職か」という選択があるだけマシである。もちろん、どれだけ、足を棒にしてハローワークに通ったところで、まともな就職先がない時代であることは知っている。きらびやかな広告に目を奪われるのではなく、みずからの意思を強く持たなければならない。
 
 「思う一念岩をも通す」、露のような力でも、岩の形を変えることはできる。2009年は、その言葉を胸に生きていきたい。