やる夫シリーズ、ついつい読んでしまうんだお……
最近は、やる夫ブログのほうが更新が早いので。
だんだんと読者が離れていくという連載物の悲劇がありながら、読んでみると「これほどの分量が当然」と思える出来。
よく考えてみれば、僕の書いた「やる夫キリスト」とか「やる夫ゲバラ」は、れっきとした「演劇」なんだけど、「フューラー」は「絵物語」というのが正しいかなあ。
このような力作を目の前にすると「同じことをやっても勝てない」という気持ちが出てきて、より「演劇的要素」を強調しようと考える。
(どれだけ少ない登場人物で、歴史を描けるか、とかそういう方向性で)
「台湾」について、あくまでも「中立的視点」で描かれた作品。この作者は、実際に台湾に住んでいるらしい。
こういうのを読むと「やる夫シリーズは良い」と思ってしまう。
新たな作者が参入できる敷居の低さと、ついつい読んでしまうという手軽さがあるかぎり、制作時間はかかるけど「やる夫シリーズ」に存在意義はあるんだなあ、と。
日本の占領時代について、偏った意見しか持ってない人は、読んでみるといいかも。
それにしても、八田さんのリストラ方法には関心。こういうエピソードが、読み手に良い印象を与えるんだなあ、と。見習いたいです。
あと、最近は「あんそく」に多く収められている「やる夫落語」を読んでいる。
やっぱり、読んだあとに「損をしない」と思わせる感覚は大事ではないかと
「物語」として読ませるよりも、「良いこと知った」と思わせれば、その面白さは無駄にはならないなあと。
冬休み、ということで、いろいろ「やる夫シリーズ」は出てきそうです。
個人的に「物語の可能性」というのは、あまり興味がなくなったのですが、「台湾」の作者のような人が、新たな「やる夫シリーズ」を作ってくれたら、読者として楽しめそうですね!