ゲバラの「自分探し」―「モーターサイクル・ダイアリーズ」

モーターサイクル・ダイアリーズ (角川文庫)

モーターサイクル・ダイアリーズ (角川文庫)

 チェ・ゲバラという名前に否定的なイメージを持つ人は少なくないだろう。「新左翼」の人たちにはゲバラを崇拝している人が多い。彼らは言う。「革命するためには武器が必要である。ゲバラがゲリラ戦で革命を成功させたように」
 そんな人たちは、この本を読むと良い。この本のゲバラは革命家ではない。無一文でも「何とかなるさ」と気楽にかまえながら、オンボロバイクにまたがって放浪する、どこにでもいる若者である。
 大学生の頃、ゲバラは友人アルベルトとともに半年以上の放浪に出た。その様子をつづったのがこの本である。彼もまた「自分探し」の旅に出たのだ。
 「自分探し」を「現実逃避」とみなす人がいるが、「自分探し」とは「自分を探る旅」のことなのだ。外国に出ると、みずからの国籍がどう思われているかを知ることができる。見知らぬ土地では、自分の知られざる性格に直面することができる。貧しさや飢えを知ることもあるだろう。スポーツなどの記録に挑むことで自分の限界を知ることができるように、旅をすることは自分の性質を知ることなのだ。
 本書でゲバラは、茶目っ気たっぷりに、いろんな人間に変装する。一人前の医者を気取って、もっともらしいことを言うこともある。路銀稼ぎにサッカーのコーチをしたりもする。ナンパ師にも挑戦した(あまりうまくいかなかったようだ)。
 挫折もあった。初めて恋を交わした女性にふられたり(負けず嫌いなゲバラは日記では直接的に書いていないが)頼みの綱のバイクが壊れてしまったり、無銭乗船がばれて、屈辱の便所掃除をさせられたり。そして、路銀に困ったゲバラたちは、いかにタダ飯にありつけるかに神経を集中させるようになる。
 ジャック・ケルアックボブ・ディランの青年時代を彷彿させる若者ゲバラの文体は、しかし、時として持前の正義感を発揮させる。先住民のインディオの生気のない瞳、うす汚れた家に住む人びと、一部の金持ち。放浪者という最下層の瞳で見たからこそ、混じり気のない視点でゲバラはそれぞれの国の現状を冷徹に観察している。異邦人であるからこそ、旅人であるからこそ、見えるものがあるのだ。
 アルゼンチン出身の医学博士、キューバ革命戦争の英雄、南米ボリビアのゲリラ戦での死。一言でいってしまえば、有言実行の理想主義者であったチェ・ゲバラの若さあふれる本書は、もともと公開を意図したものではなく、死後、ゲバラ神話を彩る一書として刊行された。決して読みやすいとはいえないが、ユーモアに富んだ南米放浪記である。


 ジョン・レノン曰く「あのころ(ハイスクール時代)世界で一番かっこいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」
 世界の流布するゲバラ肖像画でもっとも有名なのが、右の写真だろう。軍服姿とベレー帽、あさっての方向をにらみつける鋭い眼光。ファッションセンスが良いのではなく、みずからのスタイルを貫き通したから、ゲバラはかっこいいのだ。男のかっこよさはそういうものだと思う。
 キューバ革命で英雄となったゲバラは、国の代表として各国要人と会い、大胆不敵に米国批判を連発し、若者たちの喝采を浴びた。
 国立銀行総裁のときには、こんな正直な発言をしたりもする。

 戦争に備えるための仕事や、そのために投資される資本はすべて、無駄な仕事であり、捨て銭だ。戦争に備える者たちがいるばっかりに、ばかばかしいことにわれわれもそうせざるを得ないのだが、――私の誠心誠意と、兵士としての自負を込めて言うが――国立銀行の金庫から出て行くお金で一番わびしく思えるのは、破壊兵器を購入するために支払われるお金である。

 くりかえすが、国立銀行総裁の立場でこんな発言をしているのである。なお「戦争に備える者たち」というのは、プラヤ・ヒロン侵攻事件(ピッグス湾事件)と呼ばれる軍事侵攻作戦を起こした米国のことを指すのは言うまでもない。
 キューバ革命戦争のとき、多くの若者が武器を欲しいがために、ゲリラ軍に入隊しようとした。その見定め役と教育係だったのがゲバラである。彼は人を殺傷する武器を持つことが、どれだけ危険であるかを知っていた。些細な言い争いでも、武器があれば、殺し合いに発展する。武器を与えるかわりに、彼は徹底的に規律を遵守させた。そんな役回りに徹していたおかげで、ゲバラは司令官として絶対的な信頼を得ていたものの、実は革命軍での人気はそれほどなかった。
 ゲバラがそんな人間観察眼を養ったのが、この「モーターサイクル・ダイアリーズ」で書かれた南米放浪の旅であっただろう。ゲバラとその友人アルベルトは、宵越しの金を持たず、その日暮らしの旅を続けていた。いつしか、ゲバラたちはタダ飯にありつけるかどうかを見定める判断力を身につけた。
 タダ飯にありつけるために、ゲバラたちはいろんな演技をした。その最高傑作を、ゲバラは誇らしげに書いている。タイトルは「記念日」。

一、いかにも訛りの入った言葉をきつく言う。例えば、「チェ、くだらんことはやめて、さっさと急ごうぜ」。カモ(ターゲット)が現れてすぐに僕らがどこの出身かを尋ねてくる。会話が始まる。
二、遠くの方をぼんやり見つめながら、アルベルトが静かな口調で困難な状況を語り始める。
三、僕が口を挟んで、今日が何日か尋ね、誰かが日付を言う。アルベルトがため息をついて言う。「なんて偶然なんだろう、今日でちょうど一年だぜ」。カモが何が一年なのかを訊いてくるので、旅行を始めてから一年だと答える。
四、僕よりもずっと厚かましいアルベルトは、大きなため息をついて言う。「こんな状況にいるのが情けないよ、一年たったのを祝えないなんて」(僕に向かって内緒のようにこう言う)。カモはすぐにおごろうとするが、僕らはしばらくの間はそんな好意に甘えられないからとか何とか言って遠慮し、けれども最後には受け入れる。
五、一杯飲んだ後で、僕は断固としてもっと飲ませてもらうのを断り、アルベルトが僕を笑いものにする。おごっている方は腹を立てて、どうして飲めないんだといってくるが、僕は理由を言わずに断る。男の方はどうしてもというので、そこで僕はものすごく恥ずかしそうに、アルゼンチンでは食事をしながら飲むのが習慣だと告白する。食事の量はもはや客の顔によって決まるのだが、これはもう磨きのかかったテクニックだ。

 ラテンアメリカ人の気質がうかがえる猿芝居だが、当然のことながら、いつも成功したわけではない。スタコラサッサと逃げ去ったのは、一度や二度の話ではない。
 もちろん、名所巡りも欠かさない。空中都市マチュ・ピチュにも行く。彼はそこで、ラテンアメリカの詩を口ずさむ。どうも、ゲバラにはフランス文学青年のロマンティズムを感じてしまうのだが、雄大な景色を見たときの喜びで文章が踊っている様が、読んでいて実に微笑ましい。
 ゲバラは知識人には、厳しくあたったことで知られる。彼は権威というものが大嫌いだったのだ。皮肉屋で冷淡であったとゲバラを称する証言は多い。
 一方で彼は人間の素朴さを愛した。公衆衛生のない住居で暮らす人たちに胸を痛め、教育と福祉の必要性を痛切に感じていた。「慈善ではなく連帯を」と彼は革命で呼びかけている。生命の重さは誰でも等しいはずだと、ゲバラは最後まで信じていた。


 本書は完成度が高いのではなく、あくまでも、ゲバラが革命家として名を遺したからこそ、楽しめる作品である。このような紀行文は、今日も世界中のいたるところで、若者によって書かれているだろう。そういう敷居の低さが、本書の一番の魅力かもしれない。
 もし、二十歳前に読めば、本書のいろんな部分にもっと共感できたかもしれないな、と思う。自分もゲバラのように歴史に名を遺す英雄になるべく、世界放浪の旅に出るかもしれない。そして、ゲバラと同じように、ノートに毎日の様子を楽しくつづっていたことだろう。


 もっと早く、ゲバラという人間を知っておけば、と後悔することしきりである。ゲバラにまつわるエピソードは、知れば知るほど面白い。


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