「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」―気楽に読める雑学本(評価:C)

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おすすめ度:★★☆☆☆

新書というより、コンビニで売っている雑学本に近い。楽しく読めたが、その話題は広く浅く、説得力に欠ける。性風俗など、読者の関心をひくことを目的とした話題も多い。ただ、知人との話題のタネにはなる。時間が余っているときに読んでみるのもいいだろう。
この本を読んだきっかけは「江戸時代の町民ってフリーターばかりだった」という知人の言葉がきっかけである。僕は「だから、江戸は100万都市なのに、幕末でまったく役に立たなかったのか」と答えておいた。ちなみに、知人は時代劇愛好家で、僕は司馬遼太郎愛読家である。
今の東京は江戸ではない。明治政府は薩長を中心とした藩閥がにぎり、彼らが東京を動かした。「富国強兵」を旗印に、旧来の風習を完膚なきほど瓦解させた。大正時代から始まった「チャンバラ映画」は、新時代劇と称された。外国作品の翻訳であることが少なくなく、時代考証は二の次とされたわけだ。
本書ではそんな、時代劇とは異なる江戸の風習が語られる。
なお、江戸時代の町民がフリーターばかりだった、という知人の言葉は事実に反する。町民の多くは、お金のやりくりに余裕がなく、商人に頭が上がらなかった。旦那の稼ぎが足らないと、女房は体を売る。それを「つゆ稼ぎ」という。「梅雨」と「露」と「汁(つゆ)」をかけているのであろう。天候で収入が左右される時代であった。
個人的に、明治維新でほとんど役に立たなかったという事実が、百万都市江戸を物語っていると思う。その経済は、閉鎖された世界のものにすぎず、世界列強と渡り合った明治以降の近代では、ほとんど役に立たなかったのではないか。
僕にとって「東京」とは、明治以降の「東京」である。江戸町民の生活に、僕はロマンティズムを見出さない。
それでは、面白かった部分を箇条書きにしてみよう。

  1. 「小便」の由来は「商変」らしい。
  2. 「越前」は「包茎」の俗語である。
  3. 「生類憐れみの令」に反対した一人は「旗本の大将」水戸光圀日本橋に猫を磔にしたり、犬の毛皮を将軍に贈ったり嫌がらせをして、江戸っ子の喝采を浴びた
  4. 「生類憐れみの令」で処罰されたのは、一年に三人程度であったらしい。
  5. 江戸の「糞ビジネス」は有名だが、糞にも貴賎があった。大名や武家屋敷の糞は高く取引された。
  6. 大都市江戸の治安で一役かっていたのが髪結いである。月代の髪を伸ばすのは不審者で同義だったからである。
  7. 同心や与力は、でっち上げで収入を得る。手下とその手下「下っ引き」を含めると、情報源は40万人にも及んでいたという。江戸の治安はそのようにして守られたのだ。
  8. いろは四十八組の町火消は、町民に蛇蝎のごとく嫌われていた。景気回復のための放火が日常茶飯事だったからである。町火消は延焼を防ぐために、堂々と付近の家を壊した。
  9. 斬捨御免は金で解決するのがほとんどだった。播州明石十万石の松平斉宣は、行列を横切った三歳の幼児を惨殺したせいで、その親に銃殺されてしまった。
  10. 商人の跡取は、婿がほとんどである。この風習は長く続き、昭和初期の金融機関は「婿取りの商家には融資するが、息子が当主だったら融資しない」という考え方が普通だったらしい。
  11. 大奥は幕府の年間経費の半分を消費したが、その節約を進言したものは、ほとんど失脚した。
  12. 将軍は正月三日に凧揚げをする。天と人をつなぐ意味があるからである。将軍の凧は縦八メートルになる。もちろん、強風にあおられて、家臣の事故は後をたたなかった。