ハルヒシリーズを語る(その3)

ハルヒについての駄文の続き。

涼宮ハルヒの消失 ※表示されている表紙とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]」移行のハルヒシリーズは「涼宮ハルヒ」という女の子が面白くなくなってしまい、結果として、作品の勢いが著しく劣っていると述べたわけだが、その原因は当事者の移行にあると思う。


「消失」までは、ハルヒが無自覚にトラブルを起こし、そのしりぬぐいにキョンが奔走するという、ある意味美しいコンビが結成されていた。「消失」までの長門有希は、いわば万能ロボットドラえもんであった。

ところが「消失」以降は、どちらかというと、キョン長門のコンビである。ハルヒがみくるを連行し、偉大なるイエスマン古泉を従えて進んでいる後ろで、キョン長門があれこれ相談しているというイメージ。「消失」で完全無欠のスーパーウーマンでなくなった長門のことを、キョンは気づかいながらも頼りにしてしまうのである。ハルヒとの信頼関係がどうなったかって? 美少女ゲーム風に言えば「消失」でフラグは立ってしまっている。ハルヒEDはもう決定しているのである。それでもシリーズを連載しなければならないのがライトノベルの悲しいところ。しかし、連載中だからこそ、アニメも本気でスタッフは望んだのだと思う。「消失」以降のハルヒシリーズが輝きがうせたとはいえ、続けることには意味がある。たとえ、完全に長門寄りで物語が進行されているとしてもだ。

ただ、僕はこの作者のファンにはなれない。ハルヒというキャラクターの造型などの感性はすごく好きで、もし、同級生にハルヒのような女の子がいたら、作者はキョンのような関係にはなれなかっただろうが、「変な奴」と切り捨てることは絶対にできなかっただろう。そういう「涼宮ハルヒ」という女性を生み出したという功績はすばらしいと思う。ただ、作者の別シリーズ「学校を出よう!」を一巻だけ読んでみたが、どうも好きになれない。要するに、ライトノベルというジャンルが僕は好きにはなれない。

「消失」以前のハルヒシリーズには、そのジャンルを打ち破るものがあったわけだが、長門キョンに当事者が移行してしまっているいま(もちろん、みくる主体とかいう作者のエクスキューズは気にしなくてもよい)、作者と僕との間には、SF小説コミュニティとか、ライトノベルファン層とか、ふと気づくと足元にクレパスが広がってしまっているのである。

今のところ最新作の「涼宮ハルヒの分裂 ※表示されている表紙とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]」は一冊完結ではないようだが、あまり期待できない内容である。この後、果たしてハルヒシリーズは挽回できるのだろうか。まあ、その前に「涼宮ハルヒの消失 ※表示されている表紙とは異なる場合がございます。あらかじめご了承ください。 (角川文庫 角川スニーカー文庫) [ 谷川流 ]」のアニメ化があるわけで、それでさらに多くのファンの獲得はできるとは思うけれど。