母と娘の対立を楽しみたい人だけ読め ― 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4』(評価・C−)

 

 

乱歩ファンには失望を、乱歩作品を知らない人にも失望を。
工夫と努力が圧倒的に足りない、無味乾燥なミステリー。
 

 書斎のある家庭に憧れていた。
 僕の父は一生懸命働いて、一戸建てをたてた。そこには、僕ら子供三人の部屋がそれぞれあった。でも、父親の書斎はなかった。蔵書なんてない家庭だったのだ。
 僕が『ビブリア』シリーズを読み続けていたのは、僕とは違う「書斎のある家庭」を垣間見る期待があったせいかもしれない。
 しかし、この四巻目を読んだあとは、そんな『ビブリア』の雰囲気も色あせてしまった。ただ、失望だけが残った。
 

 

 今作は一人の作家(江戸川乱歩)の作品に限定した長編だ。その試みは良いのだが、読み進める爽快感がまるでない。
 

 その理由のひとつは、舞台が鎌倉付近に限定されていることだ。
 ファンは反論するだろう。今作のヒロインは足が不自由だし、古本屋の主人だから、鎌倉を出ることはできない、と。
 しかし、シリーズの飛躍を考えるならば、鎌倉に固執するのは良くない。一冊まるまる江戸川乱歩作品を扱うならば、乱歩ゆかりの地をめぐってほしかったものだ。
 今作を読んでも、江戸川乱歩がどんなふうに生きていたのかサッパリ見えてこない。乱歩がどんなふうに怪奇小説や探偵小説を書いたのか、その足跡がまるで書かれてないからだ。
 

 それに、足の不自由なヒロインでも、魅力的な物語を演出することはできたはずだ。今作の「書斎のある家庭」の描き方に成功すれば。
 今作の舞台である「地元の名士」の邸宅がどういう構造なのか読者には想像できない。「書斎のある家庭」の「書斎」しか出てこないのだ。その邸宅が普通の家とはどう異なるのか、そんな邸宅で暮らした人間の哲学とはなにか。書くべきことはたくさんあったはずだ。
 せめて、今作を書くにあたり、作者は建築学の勉強ぐらいはすべきではなかったのか。「地元の名士」の邸宅を舞台にした今作の物足りなさは「作者の努力不足」に尽きる。
 

 そして、今作の致命的欠陥は、語り手である男主人公に親近感が持てなくなったことだ。
 ヒロインとの恋愛関係が発展しない未熟さが語り口に反映されていないのだ。
 例えば、ヒロインは一貫として「栞子さん」と語っているのに、自分の倍以上の年齢の女性を、文中で名前呼び捨てにしているところ。ミステリーでは良くある文体だが、社会経験の乏しい男性一人称ですべきではないだろう。名前呼び捨てにするならば、アダ名をつけたほうがいい。そのアダ名のセンスで、語り手の個性が描けるはずなのだが。
 

 展開はミステリーとしての魅力に乏しい。なんだか、TVドラマのサスペンスを見たような読後感だった。今作を読んで、満足できる江戸川乱歩ファンはいないのではないかと思う。
 

 結局、本作は「母と娘の対立の中、右往左往する男」に憧れる読者しか楽しめないという、きわめて対象を限定した内容である。
 「地元の名士」の「書斎のある邸宅」を舞台にしながら、「書斎」しか描かれず「邸宅」を想像することができない。
 ライトノベル作家は、イラストレーターの自由度のために「過度な描写をしない」という制約があると聞いたことがあるが、挿絵のない『ビブリア』シリーズに、そんな制約は無用であるはずだ。
 

 そうそう、本作の最大の謎は、カバーイラストである。それぞれのキャラクターがよくわからない構図で描かれている。僕はこれほど意味不明なイラストを見たことがない。きっとイラストレーターも何を描けば良いのかわからなかったのだろう。
 

 文章は読みやすくわかりやすい。それだけの作品である。評価はC−。